翁知屋ブランドストーリー

翁知屋ブランドストーリー

翁知屋ブランドストーリー

<翁知屋 成り立ち>

翁知屋は、今はダムの底にねむる衣川村増澤地区<現奥州市衣川区>にて、代々漆器業を営んできました。
増澤地区には、豊富な木材があり、江戸末期~明治初期には、<木地師、塗師、蒔絵師・問屋>と漆器製造の
分業体制を形成し、最盛期には約60軒の漆器産地が形成されていました。

○初代 佐々木新吉 明治二年<西暦1869年>
 本格的に漆器生産開始

増沢地区では江戸末期・慶応時代、山守として、佐々木一族・戸数6軒が定着していた。

増澤漆器の起源に関する文献は何も無いが、唯一の手がかりとなる増澤紀念碑<大正11年建立>の刻印では、
明治二年<西暦1869年>漆器開業者10名の中に、木地師・佐々木新吉の名前が刻まれている。
増澤では地域をあげて豊富な木材を利用し、本格的に漆器生産に力をいれはじめた。

佐々木新吉は木地屋として工房を構えました。
佐々木新吉の長女婿として、佐々木栄七が結婚し、二代目として木地師を継いだ。
しかし結婚後すぐ、新吉に長男・後一が誕生し、跡取りができる。
佐々木栄七は、長男・後一誕生を機に、分家として独立し漆器行商を任される。
ここから初代ともいえる。

後一は大きくなり、木地師として家業を継ぎ、三代・宏も塗師をするが、ダム建設と同時に廃業し、胆沢土地改良区理事長となる。

○分家 初代 佐々木栄七

木地屋本家の長女の跡取り婿として迎え入れられた佐々木栄七でしたが、後に本家に長男後一が誕生し、
漆器行商として分家になります。

元々集落は佐々木一族で占められていたため、増澤を流れる二つの川、前川・後川が丁度落ち合うところに
新吉を本家とする分家として、住居と工房を構えていたことから、地元の人からは、<おちあい>さんと屋号で
よばれていました。

○二代目 佐々木誠

栄七長男・佐々木誠は、一関旧制中学校を卒業後、仙台にある当時日本で唯一の国立工芸指導所の専修生として、
先端工芸・漆芸のあらゆる<知識・技法・最先端のデザイン>を学び、漆芸作家・研究家兼塗師として増澤に戻り
後を継ぎました。

先端工芸施設で学んだ豊富な専門的知識を活かし、お客様の家々を直接訪問し漆器を納め、次の要望を聞いてくる外商問屋の立場として、店舗兼工房を構え活躍していきました。

秩父宮殿下献上品 昭和11年<西暦1935年>

民芸運動の祖 柳宗悦 氏一行増澤来訪 昭和12年<西暦1936年>

誠は、平泉周辺に伝わる古代秀衡椀を研究し、独自の工夫で金箔をはる技術を開発し、明治・大正時代と途切れていた古代秀衡椀をみごとに復元させました。

古代秀衡椀

昭和30年、増沢ダム建設に伴い、増沢地区は解散しました。
衣川漆器工業組合も解散し、漆器生産業を辞めるもの、移転した先で続けるものとわかれました。
佐々木誠は、平泉町に母屋と工房を移築し、【おちあい】に漢字をあて【翁知屋】とし、漆器業を継続します。

昭和45年いわて国体では、天皇皇后両殿下の御前にて、<秀衡椀の製作実演>の名誉を与えられました。

古代秀衡椀を特集撮影・解説した著書【秀衡椀】を発行しました。

岩手県漆器協同組合を設立、初代会長として、秀衡塗・浄法寺塗を国指定伝統工芸品として登録に尽力しました。

佐々木 誠 【大正4年 (1915) ~ 平成8年 (1996)】

国立工芸指導所専習生 修了

勲六等瑞宝章受章 <1978>

岩手県漆器協同組合設立 理事長
平泉商工会       会長
平泉観光協会      会長
中尊寺総代会      総代長

○三代目 佐々木新鋭

誠長男・佐々木新悦は芸術が好きで、岩手県内で唯一デザインが学べる盛岡工業高校へ通い、デザインを勉強、
三代目として、翁知屋の秀衡塗紋様の基礎を築きます。
新悦の<紋様デザインセンス・筆さばき>は抜群で、翁知屋の代表的な漆器紋様の数多くを制作。
その多くは30年以上経った今でも、現代の人々に愛されています。

昭和45年いわて国体では、天皇皇后両殿下の御前にて、佐々木誠と共に<秀衡椀の製作実演>の名誉をあたえられ ました。

新悦は漆器製作では飽き足らず、栃木県益子町に行き益子焼の技術を習得。
漆器製造の技術も活かした磐井焼を考案、厳美町<現一関市厳美>で住居・店舗兼焼き窯を構え陶芸家として独立。
翁知屋を退職し、誠次男・文彌に引き継ぎました。

元々心臓がわるく、60歳という若さで他界しました。

佐々木 新悦 【昭和16年 (1941) ~ 平成13年 (2001)】

盛岡工業高校デザイン科 卒業

○四代目 佐々木文彌

四代目として、急遽翁知屋を引き継ぐことになった佐々木文彌は、元々は自動車の時代になることを予測し、
岩手大学工学部を卒業後、自動車部品メーカーに勤めていました。

40才をすぎ急遽家業を継ぐことになり、経営と製造で大変苦労をしました。
工学部出身の知識を活かし、当時高額だったパソコンを経営に導入し、商品管理など経営の効率化とホームページを開設、自社の情報発信を始めました。
佐々木誠が新設した最新設備の三階建ての漆芸工房建設により、経営不振に陥った翁知屋を、販売管理業務に力を入れながら、一歩一歩経営再興していきました。

製造は自社職人に任せていましたが、自分がつくれないことで、職人に甘く見られることもあり、思うような商品を展開できないジレンマがあったようでした。

経営の心労もあり、60才と若くして他界しました。

佐々木 文彌 【昭和19年 (1944) ~ 平成17年 (2005)】

岩手大学工学部 卒業

岩手県漆器協同組合   理事長
平泉商工会       監査
平泉観光協会      副会長
中尊寺総代会      総代

○五代目 佐々木優弥

文彌長男・優弥が、文彌の急死にともない、26才という若さで五代目を継ぐことになりました。
当時、二松学舎大学国際経済経営学部を卒業したばかりで、漆芸の知識も技も無く、経営のノウハウもない 状況でした。

代々続くお客様に助けられ、自社職人から毎日技を教えられ、経営本を数多く購読し、実店舗で試しながら、経営者と 漆職人として、経験値を積み上げていきました。

製造で苦労した父文彌から<見本ぐらい自分でつくれるよう日々技を磨きなさい>という助言を受け、
金箔はり、絵付けなどの秀衡塗の伝統的技法を習得し、さらに中尊寺金色堂に代表される日本独自の漆芸技法・蒔絵を、東京の目白漆学舎・室瀬智弥氏のもとに三年通い勉強してきました。

経営では、店舗で購入した全国のお客様がリピートできるように、ネットショップ事業を強化。
自社でHPを構築できるように<HP言語・商品撮影・グラフィックソフト>を勉強し、自社の情報を常に発信できるように整えました。

特に、別注オーダー事業を強化したことで、様々な業界の最先端の品や表現に現場でふれあい、最先端の技術や素材・グラフィックデザインと漆芸の融合を試行錯誤し、漆芸技法や職人業の価値を高めています。

また、うるし塗り体験工房を構え、子供から大人まで漆を体感してもらうことにも積極的に取り組んでいます。

佐々木優弥 【昭和53年(1978) ~ 】

二松学舎大学国際政治経済学部

いわて国体 天皇皇后両殿下御用食器一式制作。
岩手県知事依頼 皇太子殿下への献上品製作。
伊勢志摩サミット安部首相からG7各国首脳へ送る贈呈品に選定
国内外のデザイナー作品製作

岩手県漆器協同組合   副理事長
いわて県南エリア伝統工芸協議会設立  初代会長
平泉商工会青年部    青年部長
平泉商工会       理事

ページトップへ